流行語・死語で読み解くニッポンの働き方 第4回 〜2000年代・過労死対策はじめ〜


流行語、死語を追うことで、日本の働き方の変遷を学ぶ連載。4回目は「2000年代過労死対策はじめ」です。今の働く世代にとっては記憶に新しい話かも。

1990年代に社会問題化した過労死が、2000年に入ってようやく国も対策に乗り出し、大きな転換点を迎えました。社員の健康意識、モチベーションを高める取り組みが少しずつ進む一方、2000年代半ばには就職氷河期も終わり、3年で辞めていく新入社員に戸惑う企業…。

バブル崩壊後の長期にわたる不況の中会社と働く人の関係はどう変化していったのか?

平成生まれのRちゃんと、昭和世代のミスターJが振り返ります。

この記事は連載の第4回目です。

【第1回】1980年代前半・モーレツ企業戦士が24時間戦っていた時代 

【第2回】1980年代後半・働いたら報われたバブル時代

【第3回】1990年代・バブル崩壊失われた20年

【第4回】2000年代・過労死対策はじめ

【第5回】2010年代:本気で働き方改革時代​​​​​​​


<登場人物プロフィール>

ミスターJ:1958年生まれ(60歳)。私立大学を卒業後1980年広告代理店入社。現在個人事務所を経営。結婚3回、趣味はゴルフ。


Rちゃん:1990年生まれ(27歳)。美容系、飲食系など職を転々としつつ将来のために闇雲に資格を集めている。趣味は心霊スポットめぐり。


従業員の健康管理は“会社の義務”になった

Rちゃん:

前回は、過労死が社会問題化したっていう話だったよね。


ミスターJ:

そう、この時代は過労死について大きな転換点があったんだ。

1991年に過労自殺で亡くなった男性について、2000年に最高裁が電通の従業員に対する安全配慮義務違反を認めた、これはとても大きな出来事だったんだよ。

※安全配慮義務とは、企業側が労働者に対して安全に働くことができるよう準備や配慮をする義務のこと

最高裁で「過労自殺」を労災と認める

1991年8月、電通の社員が過労により自殺。亡くなった男性の1ヶ月の残業時間は147時間にも及んだそうです。この“電通事件”を皮切りに、企業に大して過労に対する安全配慮義務を求める事例が急増しました。

この電通事件の最高裁判決が下されたのが2000年のこと。

企業側が遺族に損害賠償金を支払うことで結審しました。最高裁において企業の責任として雇用者の心身の健康を配慮すること労働基準法に定めるとおり労働時間を管理する義務があることを認めさせたということは大きなターニングポイントとなりました

ミスターJ:

同じ年に、東京海上支店長付き運転手の死亡事件(クモ膜下出血)、大阪淡路交通のバス運転手の死亡事件(高血圧性脳出血)でも最高裁は同様の労災認定を下した。これらの事件を受けて、厚生労働省が脳心臓疾患認定基準の改定に着手しだした。

つまり、自殺のみならず、病死でも労災が認められたことは大きな進歩だったと思う


Rちゃん:

ここまできたら企業側も対応せざるを得なくなるよね。


ミスターJ:

2002年には、厚生労働省が「過重労働による健康障害防止のための総合対策」を発表した。この中に、事業者が実施すべき措置が示されたんだ。例えば…

・労働者に対し1年以内に1回の定期健康診断を確実に実施すること
(深夜業の場合は6ヶ月以内に1回)

・健康診断の結果に基づく適切な事後措置を実施すること

産業医による保健指導や助言指導を受けること

・時間外労働を削減すること

・労働者の労働時間を適切に管理すること

・有給休暇の取得を促進すること


これらの内容をキャンペーンやリーフレットなどで周知徹底することを求めたんだ。

さらには、社員の健康意識を高めたり、オンオフの切り替えを促進するための取り組み、

例えば…福利厚生の一環としてスポーツクラブが利用できるようになったり、人間ドックの補助金が出たり、記念日に有給が付与される制度や有給奨励日など、社員のモチベーションを向上させる取り組みが増えたんだ


Rちゃん:

産業医による助言指導を受けること」についても明記されたんだね。


ミスターJ:

そう、今までは“とりあえず”なイメージの産業医がいよいよ重要なポジションになったんだ

産業医制度ができてしばらくは医師であれば誰でもなれたのが、1996年から専門資格が必要になった。


そのころの職場環境を振り返っても、産業医の先生はぶっちゃけ相当大変だったと思うよ。労働者の就業可否の判断っていうひとつの役割だけとっても、働き手の健康状態と生活を考えながら厳しい判断を求められるケースが多くあったはずだよ。それは今もだけど。


Rちゃん:

ふむふむ。


ミスターJ:

過労死という悲劇が続き、国も企業も少しずつ動いた。

働き方を考えるようになったそんな2000年代だったね

ちなみに2000年代ってこんな時代

2000年:iモード誕生。出会い系サイト。ドラマ『やまとなでしこ』。
2001年:iPod発売。東京ディズニーシー、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン開業。
2003年:六本木ヒルズ。『世界に一つだけの花』。
2005年:個人情報保護法。『電車男』。クールビズ。
2008年:iPhone登場。流行語『アラフォー』。リーマンショック。
2009年:twitter流行。プリウス大ヒット。

Rちゃん:

ただ、つい最近も電通の女性社員が過労による自殺をした悲しいニュースがあったよね…。あんまり変わってないんじゃないかとも思っちゃう。

今じゃブラック企業、パワハラ、モラハラなんかが共通言語になっているけど、少なくない犠牲の上に築かれていったんだね…。


第二新卒ブームの到来

Rちゃん:

ところで、この頃はまだ就職氷河期だったんだよね?仕事量も多かった?


ミスターJ:

2000年の求人倍率は1を下回っていたわけだから、社員1人あたりの仕事量は多かったと思うよ。

今まで事務処理をお願いしていた派遣社員さんも、いわゆる派遣切りでいなくなって、資料作って営業に行って受発注の処理をして請求して計上して、完全ワンオペ仕事だったなあ…。


Rちゃん:

就職氷河期が終わって新人さんが入ってくるのはいつごろだったの?


ミスターJ:

2006年にやっと有効求人倍率が1を超えて、やたらと高学歴な新人がポツポツ入ってきたかな。

ただ売り手市場入社組は会社への帰属意識は低くて、1年から3年ほどで会社をやめて転職していってしまう第二新卒がブームになったのもこの時代だね。

『若者はなぜ3年で辞めるのか?(城 繁幸・著)』が流行ったくらい。


(石の上にも3年って言うよ?)


Rちゃん:

ふうん、3年もいたらふつうに飽きるよねって思っちゃう…。


ミスターJ:

お、今どきだな…。

おじさんには理解できなかったよ、期待の新人にせっかく仕事教えたのに辞めていくんだから…。

これだから若いやつは〜」なんて言ってた矢先に、次は「リーマンショック」。


Rちゃん:

それは聞いたことあるよ、詳しくは知らないけど!


ミスターJ:

簡単に言うとアメリカの大手投資会社(リーマン・ブラザーズ)がまさかの経営破綻をして、世界経済がパニクったってこと(まとめすぎ)。アメリカの会社が倒産したくらいで日本に影響ある?って思うけど、これによって輸出大国日本は大打撃を受けてしまった。

また景気後退というわけ。


Rちゃん:

長時間労働、過労死、就職氷河期、ちょっとよくなったかと思ったらリーマンショックでまた不況。

聞いてるだけで暗い気持ちになるわ…。


ミスターJ:

そうだよね。

教科書通りに真面目に会社員をやっていても未来が保証されるわけじゃない、死ぬまで働くなんていやだ。

その思いが募り、働き方を選ぶ時代になるんだよね


つづけて読みたい

▼流行語・死語で読み解くニッポンの働き方、次回は2010年代です!

【第5回】2010年代:本気で働き方改革時代


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▼第1回目をまだ読んでいない方はこちらからどうぞ。

【第1回】1980年代前半・モーレツ企業戦士が24時間戦っていた時代 


イラスト/とりのささみ。 (@torinosashimi)  ・ 文/ふるたゆうこ




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