中小企業の健康経営を考える ー 株式会社じげん【前編】
産業医との協働で、メンタルケアについての社員・マネージャーの双方の意識が変わった
国が「働き方改革」に本腰を入れて久しいが、メディアで報道される事例は大手企業のものがほとんどというのが実情だ。中小企業にとって「働き方改革」「健康経営」のハードルが高いのは事実だが、多大なコストはかけずに効果を上げている会社も中には存在する。
今回は成長を続けるITベンチャー・株式会社じげん(東京都港区虎ノ門)の人事担当者・石渡氏を取材し、社員が主体的に参加する仕組みで健康経営を実現している事例を尋ねた。
前編では、企業勤務経験のある産業医・尾林誉史先生との恊働によって社内のメンタルケアについての意識が変わっていった過程、そのための仕組みづくりについてレポートする。
キーワードは「未然に防ぐ」「多様性」「ボトムアップ」
——産業保健、健康経営に積極的に取り組んでいるとのことですが、何かテーマはお持ちですか?
産業保健を考える上で、大きく3つのポイントについて心がけています。
1点目はまず、社員の労働負荷が大きくなりすぎていないか、早めに察知して未然にケアするということです。
弊社はまだまだ成長フェーズにあるベンチャー企業です。意欲の高い社員が集まって彼らに機会を提供することで、会社自体も成長していくと当社では考えています。その分、個人に与えられる裁量も大きいのですが、そこには責任も伴います。
ミッション達成のためのプレッシャーも大きくなりやすい。そのため、労働負荷が社員それぞれのキャパシティを超えてしまう可能性も十分にあるといえるでしょう。ですから社員がミッションに十分に応えられているのかどうか、常に気をつけて見ています。
2点目は、社員の多様性をふまえた産業保健、健康経営のあり方を考えようということです。
当社が扱う領域(人材、不動産、自動車など)は多岐にわたり、事業を通して社会の抱える問題を解決したい、そのためのイノベーションを起こしていきたいという思いがあります。
それをかなえるために、意識的にさまざまな志向を持つ人材を採用するよう心がけています。ですから背景も異なる多くの人たちが活躍できる環境づくり、組織づくりが非常に重要です。これは産業保健にとどまることではなく、人事として常に大切にしている方針です。
3点目は、社員からボトムアップで上がってくるニーズを把握して、それに応えていこうということです。
2点目とも関連しますが、さまざまな志向とスキルを持つ社員が集まっていますのでそれぞれの求める健康ニーズは異なります。できるだけ社員にも積極的に参加してもらって、健康ニーズを拾い上げて実現していきたいと考えています。
——3点目の社員からの「健康ニーズ」とは、どういうことですか?
当社ではもともと「全員人事」という方針を持っています。働く場をつくっていくのは社員一人ひとりだということです。
2014年から始めた「会社をもっとよくするための福利厚生などのアイディアを社員から出してもらう」という取り組みもその一つです。これはメンバー全員にとって、組織の課題を抽出・言語化し、解決策を仲間と一緒に考えるというトレーニングにもなると考えています。
そこから出てきた数々のアイディアを精査し、採用されたものは実現していっています。「こんな設備が欲しい」「こういう部屋や場所が欲しい」など、職種によってもさまざまに異なる要望が出てきたのですが、中でも健康についての提案が多かったことは印象的でした。
企業として、産業保健の整備に本腰を入れるタイミングとは?
——「全員人事」は、以前からあった精神なのでしょうか?
はい。当社ではアントレプレナーシップ、つまり「当事者意識の高い人材を採用し、自ら問題を発見・解決し、みんなで会社を創っていこう」という姿勢を大切にしています。「全員人事」もそれにもとづいた考えです。
経営側や人事側だけが考えていても多様なニーズに応えていくことは難しい。制度づくりにおいてもボトムアップの意見を常に求めてきました。
社員が少なかった頃は、代表とメンバーが日常的な会話をしている中で、課題の共有や解決策の相談ができていたと思います。また、ニーズもいまほどは多様ではありませんでした。しかし従業員数が50名を超えたあたりからは自然なコミュニケーションだけでそれを実現するのは難しくなり、何らかの仕組みが必要ではないかと考えたのです。
そこで先ほどお伝えしたように、2014年には、社員が組織課題を見つけて解決するという習慣を「制度化」したのです。この制度には、「この会社では、アイディアを出すことは歓迎されることなのだ」とメンバーに伝わるというメリットもありました。
従業員数(50名)に応じた法定義務という理由ももちろんありますが、ほぼ時を同じくして産業医を選任したというのは、現場の必要性に応えた自然なことだったのだと思います。
——社員からの意見によって、具体的にどんなことが実現していますか?
社員の提案から生まれた制度の一つに、会社としてお昼寝を認める「Napping Minutes(エヌミニッツ)」があります。つまりお昼寝制度です。時間は定められていますが、20分間の仮眠をとってよい部屋を用意しました。
また「オフィスにフィットネス設備が欲しい」という声が多かったので、最近「FitDesk(フィットデスク)」という製品を導入しました。フィットネスバイクにテーブルが付属しており、運動しながらデスクワークや打ち合わせができるというものです。
このアイディア募集制度では、100近い要望が上がってきます。全てに応えることはできませんが、社員が労働環境に対してどんな問題意識を持っているのか把握できるというメリットがあります。社員が要望したままではなく、別のかたちで改善を試みることもできると考えています。
社会人経験を持つ産業医と恊働し、社員の不調を早めにキャッチ
——産業医である尾林先生と契約したきっかけを教えて下さい。
やはり社員が50名を超えたタイミングで、法定義務ですから。それでふさわしい産業医の先生を探していたのですが、どうしてもビジョンがずれるというか、しっくりくる方には出会えず当初は難航しました。
そんなときに当社の代表がリクルート時代の先輩である尾林先生と再会して、お話ししてみるとうちの企業カルチャーに賛同して協働して下さる方だということがわかり「翌月からでもぜひ来て下さい」という話になり、2014年9月にお迎えしています。
尾林先生と最初にお会いして印象に残っているのは、現状の産業医のあり方に対して問題意識をお持ちだったことです。産業医は不調者のケアだけでなく予防にも力を注いでいくべきだし、人事部門のみならず経営との連携が欠かせないだろう、というご意見でした。その姿勢に代表の平尾も非常に共感したようですね。
なお、社内における尾林先生の役職名は「産業医」ではなく「Super Medical/Mental Officer(SMO)」となっています。(参考:ZOID(ゾイド)にリクルート出身者初の産業医、尾林氏が参画/Super Medical/Mental Officer として社員の健康問題を未然に防ぐ)
産業医業務に加えて、経営陣と連携をとりながらメンタルヘルス問題について予防的な措置を講じたり、組織のあり方や制度について助言したり、社員が万全のコンディションで力を発揮できるよう支援するという役職です。尾林先生への大きな期待を込めてこういった名称をつくりました。
——産業医は御社にとってどのような存在ですか?
いまお伝えしたSMOという役職の通り、当社の成長に不可欠な経営パートナーといっても過言ではありません。
尾林先生は医師であると同時に、社会人経験をお持ちです。メンタル不調が起こってしまう過程を現場の感覚をふまえて理解していただけますし、対応策も柔軟です。組織風土や仕事内容、働き方まで含めてアドバイスして頂けるのが他の先生とは全然違うな、と。ときにキャリアアドバイザー、ときに人事のような立場で社員とお話ししてもらっています。
面談や職場巡視のみならず、産業医によるマネージャー陣へのセミナーも
——産業医の導入にあたって、社員にはどのようにアナウンスしましたか?
まず、100名近い社員に対してのご挨拶の場を設けました。尾林先生に前に出て頂いて、自己紹介とメンタルヘルスについてのお話をして頂きました。
メンタルの不調がなぜ起きてしまうのかというメカニズムを簡単にお話しして頂いたあとで、「それが自分の身に起こっても恥じることではないんですよ。誰にでも起こりうることです。もしそうなったらすぐにアラートを発して下さい。それは産業医の私に対してでもいいし、身近な同僚や上司でもいい」と優しく、けれども強い意思のこもった口調でおっしゃっていたのが印象的でした。これによって産業医に対する社員の構えはかなりなくなったと思います。
——御社での産業医の業務にはどのようなものがありますか?
月一回の衛生委員会、残業時間が多かった社員への高ストレス者面談はもちろん行っていますが、尾林先生とはそれ以上にさまざまな取り組みを進めてきました。
まず、尾林先生は私服でなんとなく職場を巡回する「ぶらぶら巡視」をして下さっています。その中では、不調の前兆はあるものの面談にまでは至らないような社員についてもさりげなく重点的に見て頂いています。
それから「部下のメンタル不調のアラートをどう察知するか」といった内容の管理職向けセミナーを開催して、マネジメント側が学習を怠らないようにしています。やはりベンチャー企業ですから、成果を上げた社員には相応をポジションを与え、若手であっても多くのメンバーを束ねる立場に置くこともあります。そうすると、自分よりも年配で職種も異なるメンバーを相手にして、マネジメントに不安を抱えてしまう、という事態も起こります。マネージャー研修などの機会も設けてはいますが、尾林先生のようなメンタルの専門家からアドバイスいただける機会はとても重要ですね。困ったときにも相談しやすくなりますし。
あとは珍しいところでは、産業医と社員の「全員面談」がありますね。
産業医との面談室のレイアウトも、話しやすさを考えて工夫
——「全員面談」とは、どのようにやっているのですか?
全員面談と言っても、一度に行うわけではありません。尾林先生が月1回来社するタイミングで数名ずつローテーションを組んで行っています。そこでよろず相談といいますか、現状の業務や今後の働き方について話をして、不調の兆候などがあれば先生から人事にフィードバックを頂いています。
当社は1月に新しいオフィスに移転したのですが、面談室として使用する部屋のレイアウトを決める際にも先生の意見を反映しました。
心を落ち着かせる効果があるといわれる「紺色」の布張りソファをL字型に設置し、ローテーブルを置いています。こうすることでお互いに真正面に向き合うのではなく、45度の角度で斜めに相対することができ、圧迫感なく話せるのだそうです。同じく尾林先生のアドバイスをもとに、大きな観葉植物を設置して、話しながら視線を逃がしやすいようにしました。
——「産業医」と聞くと、社員は身構えませんか?
そんなことはありません。先生と直でやり取りする機会も多いので、よい関係が築けていると思います。
具体的には当社には会社は皆で創っていく、運営していくという考え方のもとで、全員何らかの委員会に所属して会社運営の役割を担う委員会制度「zigeIN(じげイン)」というものがあります。尾林先生を迎えるタイミングで保健委員をつくりました。それが衛生委員会も兼ねていまして、例えば先ほどのお昼寝を許可する制度を設ける際にも「業務効率アップのためには、はたして何分間の昼寝が適切なのか」「上手なお昼寝のコツは」といったことについて先生のアドバイスを頂き、それを「保健だより」として全社に流すような取り組みもありました。
むしろ、しんどそうな人がいたら「尾林先生のところに行ったほうがいいんじゃない?」と声をかける、そんな流れができています。誰も「産業医」とはわざわざ呼びませんね。「尾林先生」という固有名詞で認識しています。メンタルについて話すことがタブーではなくなって「調子が悪くなったら早めに相談して解決しよう」という雰囲気ができてきました。とても良い傾向です。
マネージャーが組織運営について産業医に相談できる体制を整備
——産業医が入ることで、経営面ではどんなメリットを感じていますか?
経営側としては、産業医の先生に人員配置や組織づくりにまで関わって頂けているのが非常に大きいです。例えば何か問題があったとして、それを解決するために本当に異動させる必要性があるのかどうか、という判断。なかなか我々だけだと見当がつきにくいのですが、そこで尾林先生に頂く一言が大きかったりしますね。
それから、課題意識を持っている部門長と産業医との面談の場を設けています。これは特定のメンバーについての相談というよりも組織運営のための相談が多いですね。
「マネジメントをもっとうまく機能させるにはどうしたらいいでしょう」
「メンバーが最大限のパフォーマンスを出せるように、上長の自分にできることは?」
「現状、部門全体の負荷が大き過ぎる。欠員が出たという環境要因もあってやむをえないが、何か打てる手はないですか」
など、具体的な状況や課題について先生と話しているようです。こんな相談ができるのは尾林先生の特殊なスキル・ご経験によるところもあるでしょう。
(後編につづきます)
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