産業医が考えるしなやかな組織~カギはマネジメント層へのアプローチ
従来の産業医の枠を超え、企業の経営者とともに「強い組織づくり」に取り組む林幹浩氏。
日本の雇用形態がメンバーシップ型からジョブ型へ変化する中、経営者やマネージャーには、スキルや意識が凸凹な人たちの集団を包容し引っ張っていく力が必要になる。自身が経営者でもある林氏は「マネジメント層への心理療法を生かしたアプローチにカギがあるのでは」と指摘する。
実践している手法や、林氏が考える強い組織の共通点も紹介する。
<メンバーシップ型雇用>
雇用した後で、人に仕事を割り当てる
<ジョブ型雇用>
仕事に人が割り当てられ、雇用される
▼ 林先生へのインタビュー前編はこちら
産業医の出せる価値と醍醐味~変革の時代に求められるプラスαの役割
林 幹浩(はやし・みきひろ)
東京大学工学部・北海道大学医学部卒。
通商産業省(現経済産業省)で産業振興に携わり、ニューヨーク大学経営大学院(NYU)にてMBA取得。その後ビジネスの世界に転じ、スタートアップ企業への投資、ヘルスケアビジネスの事業開発を手掛ける。医学部に学士入学し医師となってからは、順天堂大学で総合診療の研究・臨床、救急医療に携わった。現在は株式会社ビスメドの代表取締役社長として会社経営を行いつつ、さまざまな業種の企業の産業医・顧問医も務めている。
メンタルケアと組織経営の関係
―「産業医の出せる価値と醍醐味~変革の時代に求められるプラスαの役割」では、組織や人材という視点が多く盛り込まれているように感じましたが、先生はもともとその分野に関心があったのでしょうか。
私は少し変わった経歴で、さまざまな職場を経験してきました。経営学を学んだころから人材の問題には関心を持っていましたが、ビジネスの現場にいた時は組織や人材に関することは意識の前面にないこともあったように思います。
医師になってからは、予防医学に軸を置き、最新の科学的知見を踏まえたメンタルケアを学んでいますが、その手法や知見が経営的な組織の課題への対応に生かせることに気付いて目を見張る思いをするとともに、過去の自分を反省することも多々ありました。「ビジネスの現場にいた時にこの知恵を持っていれば」と思うことも多く、それが今、産業保健分野で人や組織の課題に取り組むときの原動力になっているのかもしれません。
―メンタルケアと組織経営は関連があるのでしょうか。
そうですね。メンタルケアは疾患への治療として研究されてきたものですが、その手法はより広い汎用性を持っていて、組織での個人やリーダーのあり方に大きな示唆を含んでいると考えます。経営学の中にも、組織行動学やリーダーシップ論などの分野がありますが、メンタル分野の医学的アプローチとの重なりが大きくなってきています。
たとえば昨今、瞑想を中心とした「マインドフルネス」への関心が高まっていますが、これはもともとストレス関連疾患などへの治療効果があるかといったことが研究されてきたものです。
スティーブ・ジョブズなどビジネスリーダーに瞑想をする方が多いことが知られていますが、働く人のストレスマネジメントの効果という意味で注目され、グーグルやヤフーなど企業で研修に導入するところも増えてきました。
私もトレーニングを受け、希望する企業さんでやらせていただく機会が増えています。単にメンタル不調の1次予防というだけでなく、例えば仕事の効率を上げたり、人間関係を改善したり、創造性を発揮したりすることへの効果があるともされていて、実感される方も多いようです。
―他にも林先生が活用されているメンタルケアの手法はありますか。
例えば、ACT(Acceptance and Commitment Therapy)という心理療法があります。マインドフルネスを一つの軸に、「心理的柔軟性」の獲得をめざした包括的な治療法で、第3世代の認知行動療法と言われることもあります。私自身も体験してよい影響があった体感があり、科学的な根拠を含め、学びを深めています。
ACTの手法や考え方を通常の産業医面談で活用することも多いのですが、メンタル不調者だけでなく、強いストレスを抱えている、例えば現場のプレイングマネージャーの方をケアする際などにその手法を活かすと、ご本人へはもちろん、組織全体によい効果が出てくるといったこともよく経験します。
今、専門家とともに実際的でより効果的なACTの職域への展開手法について研究開発を進めているところです。
―産業医としてメンタル不調者に対応する時に、ACTを活用された例はありますか。
メンタル不調で休職されていた方が復職される際は、「不調時の振り返り」が大切であると言われます。不調になった自分を客観視できるかどうかが予後のポイントとなる。つまり再発防止の観点から重要だということですが、これがなかなか難しい。ACTのアプローチはそういったところにも活きると思います。
ある30代の男性で2回目のメンタル不調での休職をされた方に、何度か面談を続けたことがあります。主治医の精神科の先生がいらっしゃるので、治療的介入については自制しなければならないのですが、面談を何度か行う中で、ACTの手法も使いながらプライベート面での悩みや会社への思い、自分の本当にやりたいことなどを話してもらいました。少しずつ現実を受容しながら自分の中の「価値」に従って進む道を見つめていくようになり、心理的柔軟性が上がっているように思えました。
この方は主治医からは「復職可」の診断書を出していただきながら、残念ながら休職期間満了で退職となったのですが、最後の面談のあと、「先生と話せてよかった。ありがとうございました」と深々と頭を下げていただいたのが心に残っています。
マネージャー層への心理療法によるアプローチ
―具体的に、心理療法が活かせると考えられる組織の課題にはどんなものがありますか。
今、多くの組織で、マネージャーという仕事がとても難しい時代になっています。私は、心理療法の手法が組織経営に効果をもたらす一つのポイントは、マネージャーレベルへのアプローチではないかと考えています。
もともと経営は「ひとつの正解」がない不完全情報下で意思決定をしなくてはならないわけですが、VUCA(Volatility – 変動性、Uncertainty – 不確実性、Complexity – 複雑性、Ambiguity – 曖昧性)の時代と言われるように、さらに経済環境に不確実性が増している。現場のマネージャーにはそれに対応できる力が必要とされますね。
一方で、働き方改革の進展で、長時間労働の規制は厳しくなり、多様性を認めていかなければならない。働き手の職場に対する考え方の変化が起こっていることも大きな要素です。終身雇用制を前提にした従来のメンバーシップ型雇用が、徐々にではありますがジョブ型にシフトしつつある。大きな企業でも先はどうなるかわからないし、技術の進歩で業界の構造もあっという間に変化する。
「その組織に帰属していることが最大の優先事項で、そのためには個をある程度犠牲にするのは当然」といった文化から、「目的は自らの成長であり、そのための場として職場を選択する」といった考え方へ、特に若者の意識はシフトしていると言っていいのではないかと思います。
生産年齢人口がピークアウトして若者の数も減りつつあり、人手不足で若手の争奪戦が激しくなっている。今はSNSなどで組織内部の情報もあっという間に拡散します。会社は、いかに自らの組織が働くに値するところかを、成長機会や組織の有機性といった深いレベルでアピールする必要に迫られているのです。
―職業観が変化していく中で、組織をまとめるのは難しそうですね。
昔と比べると、従業員の「組織」に対する捉え方や、それぞれが目指す姿は、必ずしも一つではない。そんな集団で、経営者やマネージャーは成果を出さなければならないんです。
現場レベルで共有できる価値意識を明示することはますます重要になっている。また、スキルや行動がさまざまな、いわば「凸凹なチーム」を包容し、引っ張っていく力が求められていると言えます。メンバー一人ひとりがベストパフォーマンスを発揮できるような職場環境を整備するという役割がリーダーにある、という認識を持てないと、組織が立ち行かなくなるということも起こりかねない。インクルージョンという意味でもそうですね。
―経営環境も、チームメンバーの意識も変化しているのですね。
現場でチームマネジメントをしなくてはいけないときに、「どうしていいのかわからない」というマネージャーは多いのではないかと思います。
例えば、就職氷河期を経ている組織で、中間層が薄いために健全な「現場マネジメントの継承」が行われていない。また、成果に向けてまい進するプレーヤーが、時代に合った適切なロールモデルを持たずにマネージャーに昇進して、部下がメンタル不調になったり離職したり、あるいは本人が参ってしまったりする場合もあります。
こうした問題の多くがマネージャーの「スキル」の問題として議論されているように思えます。もちろん、知識やスキルを向上させることは大切で、そうしたお手伝いもしていますが、マネージャー自身の心理的柔軟性が実は最も重要であるケースも多いと感じています。組織が変化に対応しなくてはならない今、チームをまとめてゆくスキルの向上とともに、マネージャーの心のありように資することができたらと思っています。
ストレスチェックの集団分析をきっかけに
―マネージャーにはどのようにアプローチするのですか。
管理職研修などの講師やファシリテーターとして直接関わるほか、個別にも、上長面談などでお会いしたり、ストレスチェックをきっかけにお話ししたりすることもあります。
ストレスチェックの集団分析で職場の支援の数値がよくなかったとき、その部署のリーダーが実は孤独に悩んでいるということはままあります。その部署についてのお話をお聞きしながら、リーダー自身の困りごとを伺うことで問題が改善に向かうことも少なからず経験します。中には、「こんな話をさせていただいたのはこれが初めてです」と涙される方もいらっしゃいます。本音を引き出すには信頼関係が不可欠と思いますが、仕事の直接の利害関係者ではない産業医はお役に立てることがあります。
マネージャークラスへの働きかけは会社の状況やケースに応じてさまざまで、特定の方法にこだわっていませんが、ACT的なアプローチは、個人に対しても、管理職研修という形でも、有効であることが多い実感があります。これも、会社に継続的に関われる産業医だからこそ見届けられることなのだろうと思いますが。
―マネージャー自身が変わっていくということですね。
どうしていいかわからなかったのが、何か見えてくるといった感じでしょうか。
適切なロールモデルが見当たらないといった場合に、指標となるものも一緒に探していくといった作業もしています。
心理的安全性がある組織の強さ
―その指標とは、例えばどんなことなのでしょうか。
一つ挙げるとすると「心理的安全性(Psychological Safety)の醸成」でしょうか。
「ありのままの自分でいても、非難されたり排斥されたり、否定されたりすることはないと思えること」とされますが、グーグルが2012年から4年間かけて実施した大規模な社内調査で、700ある社内チームの生産性の高さを決める最大の要素は心理的安全性だという結論を出したことが、大きく注目されました。
何でも許されるぬるい組織、といった意味ではなく、「自分の意見を安心して言えるチーム」といった意味合いと考えられています。集団のなかで「弱みを見せてもいい」と思えるかどうかがポイントになるとこの調査のリーダーは言っています。
心理的安全性がある組織では、一人ひとりが能力を最大限に発揮できる。その結果、組織全体のパフォーマンスを上げ、成果にもつながってくるということではないかと感じます。経営者やマネージャーとこうしたことを共有しながら、組織が目指す価値が何であるかを見定めていくお手伝いをさせていただいています。これも、集団で行う場合と個別にお話しをする場合があります。
―年齢や性別、役職で区別せずに、自由にものが言える組織。確かに、とても働きやすく、生産性も上がる気がします。
例えば、原始時代、生き残るために有用な知恵であれば年齢や身分に関係なく採用する群れの方が、「偉い人の言うことが正しい」としか考えない群れより生き残る確率が高かったはずです。最年少の子供が「こっちに行けば逃げられるよ」と自由に発言できる心理的安全性への欲求は、特に環境変化が激しいときの生き残るための本能であると言えるかもしれません。
―成功するベンチャー企業などにはそういう雰囲気がありそうですね。
ティール組織(進化型組織)が話題になりましたが、要はなにか面白いことをやりそうな人と一緒に行動したいんです(笑)。「世の中が幸せになるために自分たちができること」という価値の部分を共有した組織が、心理的に安全であれば、集まった者がそれぞれの能力を生かして自分たちのできることを出し合うことができます。そうしたあり方がVUCAで人手不足の時代には、むしろ最も生産性が高いのかもしれません。成長するベンチャー企業にはまさにそうしたところがあると思いますが、伝統ある大きな組織でもそれは起こりえると思います。
キーパーソンとなるのはやはり経営者・マネージャーではないでしょうか。そうしたリーダーを一人でも多く輩出するお手伝いを続けていきたいと思っています。
文/ 岩田千加 編集/サンポナビ編集部
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