ヘルスリテラシーとは?「私はまだ健康」と「倒れてからでは遅い」の壁


「健康経営」という言葉に注目が集まる昨今、私たちはどれくらい「健康」について“知っている”と言えるのか。そして、自分たちの健康状態をどれだけ“理解”しリスク管理できているのか。

企業として、個人として、そして人事労務担当として「まだ大丈夫」と思っていても、それは健康への知識不足からくる思い込みかもしれない。そんな危険な思い込みを防ぐキーワードは「ヘルスリテラシー」。

総合診療での臨床経験と、産業医としての予防医学、公衆衛生の豊かな実績を背景に、ヘルスリテラシー向上のための啓蒙運動にも熱心に取り組む順天堂大学医学部総合診療科准教授の福田洋先生にお話をうかがった。


社員が健康管理に興味がないのは当たり前


――まず初歩的な質問からうかがいたいのですが「ヘルスリテラシー」の定義とはなんでしょうか。


簡単に言うと、「健康情報にアクセスし、理解し、使える能力」ということになります。この分野の第一人者である、ドン・ナットビーム教授による定義です。健康に関する自己管理能力ですね。リテラシーとつく言葉は「ITリテラシー」や「情報リテラシー」など他にもいろいろありますが、それの“健康版”です。


――なるほど。先生は大学病院で臨床医、企業で産業医として勤務されていますね。その中で「ヘルスリテラシー」のレベルについてはどのように感じていらっしゃるのでしょうか?


私自身の経験を交えながら説明させて下さい。

これは恥ずかしながら、私が北海道で初期研修をしていたときに、糖尿病患者教育用に作成した冊子のなかの漫画です。もともと漫画を描くのが好きで、患者教育用のプリントや冊子をよく作成していました。(笑)。

われわれは一生懸命、生活習慣病の患者さんに「こういうのは危険な兆候ですよ」、「こういう生活習慣では病気が悪化します」と働きかけ、治療や生活改善に取り組んでもらうように手を尽くしています。病気を治すことは、患者さんのためなのにもかかわらず、患者側は変わろうとしないまだそこまで症状が切迫していないからです。この漫画のように、「小便に少しくらい糖がまじったからって、それが何だってんだ」と糖尿病の兆候を全く意に介さない。ときには、憤りを感じたこともありました。

しかし、私が衝撃を受けたのは日本の糖尿病患者の約半分しか受診していないというデータです。病院に来られるのは、約半数に過ぎない。病院で「なぜ変わってくれないのか」と私が悩んでいた漫画のような人は実は真面目な方の半分だったのです

では病院に来られない残りの半分はどうしているのだろう。健診結果を放置して会社で忙しく働いている人もたくさんいるに違いない。会社に行けばその人たちに会えるのではないか――私が産業医をしている理由のひとつは、受診していない残りの半分の人たちに会いたいからというのが大きな動機です。これが臨床医をしていて感じた最初の衝撃です。


――最初のということは次の衝撃もあるのですね。


はい。二度目に衝撃を受けたのは、特定健診開始後の2008年のデータを見たときです。

データを分析してみると、健診で生活習慣病が指摘されるハイリスク者のうち未受診の人の割合は、糖尿病約5割、高血圧約7割、脂質異常約9割でした。高血圧の場合、血圧が200mmHg超でも7割が受診しないのです。実は糖尿病で半分しか受診しないというのは、まだましなほうだったというわけです。ヘルスリテラシーが不十分であることを思い知りました


――一般の人は、上司が倒れた、夫や妻が入院したといったようなことでもないと、なかなか健康に気をつけようとは思わないものですよね。


そうですね。人は身近な人が倒れるなどのトリガーがなければ自分の健康に関心を持てないものなのです

自分の知り合いでも、予防医学についての相談をしてくる人はほとんどいません。それより倒れた、血が出た、心臓が痛いなど、切羽詰まった状態になってからどうしたらいいか、専門医を紹介してくれ、と相談されることが多いです。実際に目に見える形で具合が悪くならないと、医師は頼られません。社員がヘルスリテラシーに興味がないのはむしろ当たり前だと思います。


「リテラシーを高める」前にやるべきこと :職場で活用するための5つのステップ


――「まだ大丈夫」と思っているうちは、「自分ごと」にするのは難しいものですよね。そうした状況を踏まえて、ヘルスリテラシー向上のために人事が対応するとしたら、まず、なにからとりかかるべきでしょうか。


はじめにお断りしておきたいのは、いきなり「リテラシーを高めよう」ではなくその前にやるべきことがあるということです。ヘルスリテラシーの活用について、5つのステップを提唱しています。

(ステップ1)相手のリテラシーレベルを知る 

(ステップ2)相手のリテラシーレベルに合わせる

(ステップ3)必要なリテラシーのハードルを下げる

(ステップ4)リテラシーを高める

(ステップ5)リテラシーを広める


――「高める」の前に3段階もあったのですね。リテラシーをいきなり高めようとしてもうまくいかないということですか。


はい。まず、(ステップ1)相手のヘルスリテラシーレベルを知ることがとても大切です。健康診断やストレスチェックのデータはありますが、従業員のヘルスリテラシーレベルはほとんど注目されていません。相手がどの程度健康情報について意識しているのかこれを知らなければ不適切で非効率なアプローチになる可能性があります

予備校などでも、学びたい生徒の学力レベルに合わせて指導するから成績が伸びるのです。リテラシーレベルに大きくばらつきがある場合、リテラシーが不十分な人をスクリーニングし、より適切な指導や教育をすることが可能になります。また従業員全体のヘルスリテラシーレベルを把握することで、職場のニーズを見積もったり、どのような集団をセグメント化して介入するべきか、また集団のヘルスリテラシーレベルを評価するための資料になります。


――そのヘルスリテラシーレベルの測定方法にはどんなものがありますか。


5つの質問に答えてもらう方法が簡単で使いやすいでしょう。

①新聞、本、テレビ、インターネットなど、いろいろな情報源から情報を集められる。

②たくさんある情報の中から、自分の求める情報を選び出せる。

③情報を理解し、人に伝えることができる。

④情報がどの程度信頼できるかを判断できる。

⑤情報をもとに健康改善のための計画や行動を決めることができる。


これらについて、 「全く思わない」〜「強く思う」の5段階で回答してもらい、5項目の平均を尺度得点とする、という方法があります。東京大学の石川ひろの氏が開発した伝達的・批判的ヘルスリテラシー尺度 (Communicative and Critical Health Literacy, CCHL)です。


――「④情報がどの程度信頼できるかを判断できる」とありますが、正確な情報であるかどうか、どうやって判断すればいいのでしょう。


「誰」が発信した情報なのかを確認することが最も大事です。誰が発信しているかに注目することで、その情報の背景や真意を知るヒントになります。次に「いつ」発信されたかですね。ネットには新旧の情報が混在しているので要注意です。


――相手のレベルを知ったら、次は(ステップ2)相手のリテラシーレベルに合わせる、ですね。


これは、伝えるときに、保健指導の場でより時間をかけるとか、専門用語ではなくて、より簡単な言葉で説明するとか、図示するとか、私のように漫画で表現するとか(笑)、ティーチバックと言って、こちらが言ったことを復唱してもらったりするなどの工夫をすることです。


――(ステップ3)必要なリテラシーのハードルを下げるというのは。


おもに、集団に対しての健康情報の提供(ポピュレーションアプローチ)の際に、ヘルスリテラシーが高くなくても理解できるような形で情報発信することです

たとえば、大手広告代理店の人間ドックの冊子「大丈夫のつくりかた」では、プロのカメラマンとライター、デザイナーを使って、「従業員の健康を守る保健師の本音座談会」といった企画で読み物としておもしろくしながらも、具体的なリスク放置率(健診で異常があっても病院を受診しない人の割合)を紹介し、その後ろにドックの案内をつけるような工夫をして、冊子がそのままゴミ箱行きにならないようにしています。


――興味を持ってもらえるように、伝え方を工夫するのですね。


大手家庭化学品メーカーの事例ですが、こちらではヘルスリテラシーに注目した新入社員教育を行っています。健康問題をいかに自分ごと化させるかについて考えた結果、新入社員たちの“不都合な将来”を語ることで随分注目してもらえるようになりました。

「ここにいる皆さんはピカピカの優秀な新入社員です。しかしこの中の数名は、確実にメンタル不調で私の面談を受けるでしょう。10年後男性の3割は必ずメタボになります。その予防には健康情報力が重要です」といった具合です。


――それなら、自分に関係のある話として、興味を持って聞いてもらえそうですね。情報を伝えるには、ある種の「編集作業、編集能力」が必要だということですね。
そして、ここでようやく(ステップ4)リテラシーを高める、にたどり着きました。


やっとですね(笑)

繰り返しますが、最初からリテラシーを「高める」ことばかりに目が行きがちですがその前に「知る」「合わせる」「ハードルを下げる」を十分にした後に行うのが効果的です


――(ステップ5)リテラシーを広めるとはどういうことでしょうか。


大手設計コンサルタントの事例ですが、この企業では保健師がヘルスプロモーションに大活躍しています。しかし、「保健師とラジオ体操」の呼びかけに参加した従業員は30人前後でした。それを「社長と一緒にラジオ体操」という催しにしたところ、100人が朝8時半に集まりました。

この企業では、社長が「(一級建築士の)君たちはデザインをするプロだろう。だから、自分の働く時間もデザインして欲しい」とメッセージを発信し、働き方改革を推進しています。続いて「自分の健康をデザインする」ことを目標に、組合、人事、産業保健スタッフが連携し、健康情報を集めた健康デザインブックの作成が進んでいます。

このように、企業ではいかにキーパーソンを巻き込んで情報やよい行いを広めるかが重要になってきます。この企業の場合は、社長や組合執行部がキーパーソンになってくれました。


――キーパーソンをうまく巻き込むのは人事の腕の見せどころですね。


はい。私自身、産業医を務める企業では、できるだけキーパーソンとなる経営層や人事、組合の方とのコミュニケーションを密にし、普段の困りごとには徹底的に対処します。それで、社員全体にアナウンスしたり、トップからの発信をして欲しいときなどにお願いしやすくしているのです。

人事担当の方も社長やキーパーソンをうまく巻き込んで、ヘルスプロモーションを推進するしかけをつくるという視点を持つといいと思います。


――「広める」の段階になると、社員や組合が自主的に動いてリテラシーの向上につながっている感じがしますね。


私はヘルスリテラシーの最後の到達点は医者や保健師主導でなく健康に関心の高い社員が自立してその情報を広めたり活用したりして周囲に広げていくことだと思っています。学校と同じです。

正解ではなく、困難に直面した際の考え方、やり方を伝えて、先生がいなくなったとしても、自立して勉強を続ける、その行動を続け、発展させていくことが目標です。そうすることで職場などのコミュニティ全体が変わっていくのだと思います。 


個人が健康になることが「資産」になっていく


――ヘルスリテラシーは個人の能力にとどまらず、広がっていくところに展望がありますね。


そうですね。冒頭で言及した、ヘルスリテラシーの第一人者ドン・ナットビーム教授は、こうも言っています。「ヘルスリテラシーはアセット(資産)になる」。私はこれに非常に共感します。個人が健康になる、そしてその方法や情報、習慣を周囲に広めることで組織が健康になり、人から人へ情報が伝わって、健康な組織、健康な地域、健康な社会、と広がっていく、このこと自体が社会の資産です。


――一方で、資産になるまでには時間もかかりそうですね。何か飛び道具的なものはないのでしょうか?(笑)


こればかりはそれぞれの会社の状況に合わせるしかなく、一社ごとに最適な方法は違うでしょう。一朝一夕にできると思わず、ある程度時間をかけるという覚悟が必要です。ただ、全く新しいことを始める必要はなく、いままでやっている産業保活動を、5つのステップに照らし合わせて再構築するだけでもよいでしょう。

全部できなくてもいいのです。ひとつだけでもいい。なにもやらないより断然いいです。人事労務ができることをひとつひとつやっていくそれが10年後20年後大きな資産になります。私自身、ご紹介した企業での産業医はもう20年近くになりました。ある程度長期スパンでの変化で、健康経営が進展するさまを目のあたりにしています。


――どのように進んだのでしょうか。


20年前に私が産業医に選任された当初、まず社員のニーズをつかもうと、アンケートを実施しました。例えば、食事の支援では、医療職はすぐに栄養指導などを考えがちです。しかし、アンケートの一位に挙がった要望は「社員食堂をもっとヘルシーに」だったのです。

社員の切実なニーズから切り込んでいくことで、信頼も得られやすくなりますし、何より社員の関心事ですから、情報も伝えやすいし、行動変容にもつながりやすいのです。

その後、健診後の全員面談も行いました。何年かすると、健診結果をどう読むか、分かってもらえるようになりました。たとえば、γ-GTPの数値(肝機能値)がいくらならまずいのか、その結果どうすればよいのか、などです。行動面でも、栄養バランスを考えて食べる、定期的に運動するなど、20年のあいだに着実に社員の生活習慣は変わったことがわかります。ヘルスリテラシーが上がったと言えるでしょう。


――やはり、そのくらい長いスパンで、ひとつひとつ取り組まれてこその成果なのですね。
では最後に「健康経営」に取り組む人事担当者の方へのメッセージをお願いいたします。


他社の事例をそのまま真似できないということは人事担当者の方ならよくご承知だと思います。自社にどういう形が合うか、ニーズやリテラシーレベルの調査など準備が必要です。その企業文化にしっかり組み込まれた形でなければ、結局しくみとして機能せず、長続きしません。その企業らしく時間をかけて取り組むこと

そして、正解はひとつではなくやれることはいくらでもあるということも覚えておいてほしいですね。小さなことからでもぜひ取り組んで下さい。人を巻き込むしくみづくりを念頭に、社長をいかに本気にさせるかということも視野に入れるといいでしょう。

かつて景気の良かった時代の健康増進は、余剰資金を福利厚生にまわすという感覚だったと思います。しかし現代の健康経営は企業や地域国家の「サステナビリティ」のために重要だと言われています。「サステナビリティ」を「持続性」と訳すと柔らかく聞こえますが、はっきり言うと「生き残り」ということです。変化の激しい厳しい時代に、個人も家族も企業も、生き残るためにヘルスリテラシーは必須だと思います。


――先生は産業保健スタッフや人事担当者方向けにもさまざまなセミナーを実施されていますね。


さんぽ会(産業保健研究会)、臨床疫学ゼミ、文天ゼミ(同友会主催)、などでヘルスリテラシーやヘルスプロモーションなどの勉強会を実施しています。情報の共有、ネットワーク、コミュニティの形成もまたヘルスリテラシーに欠かせないものです。興味がある方のご参加をお待ちしています!


プロフィール:福田 洋(ふくだ ひろし)

順天堂大学医学部総合診療科准教授、医学博士

専門は予防医学、産業保健、健康教育・ヘルスプロモーション、ヘルスリテラシー。1993年山形大学医学部卒業、1999年 順天堂大学大学院医学研究科(公衆衛生学)修了、2011年ミシガン大学公衆衛生大学院疫学セミナー修了。東京・八重洲総合健診センター 健診部長、順天堂大学医学部総合診療科講師を経て2007年より現職。 産業衛生指導医、人間ドック健診指導医、労働衛生コンサルタント、日本プライマリ・ケア連合学会認定指導医、公衆衛生専門家、社会医学系指導医。さんぽ会会長。 近著に『ヘルスリテラシー~健康教育の新しいキーワード』(大修館書店, 2016)。働きざかり世代に有効で感謝される予防医療の確立を目指す。

文/奥田由意  編集/サンポナビ編集部


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福田洋

福田洋

(ふくだ・ひろし)順天堂大学医学部総合診療科准教授、医学博士。専門は予防医学、産業保健、健康教育・ヘルスプロモーション、ヘルスリテラシー。1993年山形大学医学部卒業、1999年 順天堂大学大学院医学研究科(公衆衛生学)修了、2011年ミシガン大学公衆衛生大学院疫学セミナー修了。東京・八重洲総合健診センター 健診部長、順天堂大学医学部総合診療科講師を経て2007年より現職。 産業衛生指導医、人間ドック健診指導医、労働衛生コンサルタント、日本プライマリ・ケア連合学会認定指導医、公衆衛生専門家、社会医学系指導医。さんぽ会会長。 近著に『ヘルスリテラシー~健康教育の新しいキーワード』(大修館書店, 2016)。働きざかり世代に有効で感謝される予防医療の確立を目指す。

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