どう変わる?人生100年時代、「これから」の産業医と会社の関係


昭和47年、労働安全衛生法で誕生した「産業医」という言葉は、平成の今、働き方改革でその存在感を増している。この46年間で産業現場はどう変化し産業医の役割と期待はどう変容してきたのか

大企業で専属産業医として長いキャリアを持ち、長年、日本医師会認定産業医制度の講師として活躍されている浜口伝博氏に、産業医の位置づけ、役割や業務の変遷、これからのあるべき産業医と企業との関わり方についてうかがった。同氏は現在、若手産業医育成のための「産業医伝塾」を主宰し、講演会「産楽会」なども立ち上げて、産業医学の重要さとおもしろさを広く伝える活動を精力的に展開している。


若くして産業医志望は「変だった」時代


―― まずは、先生が産業医になられた当時のお話を聞かせてください。先生は1985年に産業医大を卒業されて、専属産業医としてご活躍されますが、当時は医大を出てすぐに産業医になるのはめずらしかったそうですね。なぜその道に進まれたのですか。


浜口 正直に言うと、「卒業したのが産業医大だったから」というオチですね(笑)。

産業医大は、産業医を養成することを目的に労働省(現在は厚生労働省)が1978年に開設した大学ですが、当時は産業医大を出ても100人中95人が産業医にならずに、一般の臨床医を選ぶような状況でした。

だって、当時はまだ産業医という言葉ができたばかりで産業医という職業自体これから先どうなるかよくわからない頃ですから、自分の将来をそれに託すというリスクは誰もが避けたいですよね。私も、学年が上がるにつれて、自分の故郷に帰って臨床家になるか、それとも産業医の道に進むかで悩みました。

浜口 伝博(はまぐち つたひろ)

産業医科大学医学部卒業。病院勤務後、(株)東芝(1986~1995)および日本IBM(株)(1996~2005)にて専属産業医として勤務。その後、Firm & Brain(有) を設立し開業型の産業医として独立。大手企業を顧客企業としてもち、統括産業医、労働衛生コンサルタントとして活躍するかたわら政府委員や医師会、関係学会の役員を務めながら、産業医科大学をはじめ、慶應義塾大学医学部、順天堂大学医学部、東海大学医学部にて教鞭をとっている。


でもよく考えてみれば、世界に一つしかない「産業医学」専門の医科大学を卒業するわけです。大学草創期の卒業生として社会に向けて「産業医学」を世の中に広めたい、という思いだけは人一倍ありましたから、やはり自分としては「産業医学」に進むべきだ、と決めました。

産業医はマイナーな世界で人気もなかったわけですが、やりもしないで第三者的に批評しているのは潔くないし、やってダメだったら、若いんだしいつでもやり直しはできる。でも進むからには「産業医は最高の職業だ!」と言えるようにしたいとも思ったものです。


今から30年くらい前は産業医は臨床の第一線を退いた高齢の医師がするものというイメージがあって若くして産業医をしているとまあ変わった人の部類に入ります(笑)

実際、産業医として赴任した地域で産業医の勉強会に参加すると、出席者のほぼ全員が高齢者で、なかには70才、80才という方も現役でおられるわけです。彼らの会話を聞くとはなしに聞いていると、「職場巡視のとき、どんな杖を使うといいかねぇ」などと話し合っています。

こりゃ、確かに若い人の来るところじゃないなぁ、と引いてしまいました(笑)。


法律どおりにルーティンをこなすのが日本のスタンダードな産業医だった

浜口 ともあれ、私の産業医生活は(株)東芝の専属産業医として始まりました。

勤務した川崎にある東芝柳町工場には約4400人の従業員がいて、構内にある診療所の所長職も兼ねました。工場には、有機溶剤や化学物質、鉛作業もあるし、騒音や粉塵の職場、危険物を扱う作業などすべての有害作業があったので、労働衛生や健康管理の実務など、産業医に求められることはたくさんありました。


ですが一方で、労働安全衛生法などの労働関連法令では、有害物質の取り扱い方、健診の方法、職場環境管理の方法などが書かれていて、事業者も産業医も、まずはこれら法令の内容通りの運営と管理をしていれば法律上の責任は果たしたことになるし、一定水準の安全管理や健康管理はできたことになります。

そのため、法律で決められたことをするのが産業医の仕事だと思っていた方がほとんどでした。法令遵守以上のことはせず法令内の業務を粛々とこなすという受動的な産業医が大半だったわけです


―― 産業医はあくまで、“決められた仕事をする”という立場だったのですね。


浜口 これじゃ、若い人は産業医になりたがりませんよね。おもしろくもなんともない。

何でもかんでも法律が先行されると、産業医としての創意工夫や提案なども余計なわけで、個別能力も要らないことになります。

自主的な取り組みよりも法律規制が優先されてしまうという風土が生み出した結果は、産業医は誰でも同じで、個別技量はあまり期待しなくてもよくて、ただ法律運用に従順であればよい・・・ということになり、産業医たちは努力をする必要もなく企業側も産業医に期待をすることもなくという時代でした

でも、法律というのは職場における最低限の衛生基準を取り決めているだけですから、最低基準が実現できたとしても何もいばれたものではありませんよね。



―― 95年からはIBMで専属産業医を務められました。日本企業と外資系企業で、産業医の仕事に違いはあったのでしょうか。

アメリカの産業医は企業理念の達成のために雇われる


浜口 IBMは何から何まで東芝と好対照でおもしろかったですね。

さっき言いましたように、日本企業は法律ありきで始まって、産業医を置いて法令順守を先行させるわけですが、そもそもアメリカには産業医を置かなければならないという法律がありません。

にもかかわらずどうしてIBMは産業医を置いているのかというと、産業医がいないと産業衛生上の経営リスクが高まるわけですからそのリスクヘッジのために産業医を雇用するという理屈です


またIBMの理念を実現するためには産業医が必要だ、というポリシーがあります。たとえば、IBMはどの国でビジネスをしようが、その国の法律を守り、地域環境を守り、地域文化を大切にします。そして所属する従業員への平均以上の福利厚生の提供と一人一人の職場安全と健康の確保、尊重と公平を謳っています。産業医の設置は、これらを実現するためには必要不可欠なのです。


外資系企業はどこも似ていると思うのですが、会社の理念がまずあって、スローガンやモットーが示され、実現していくための具体的なガイドラインやインストラクション(命令・指示)にブレイクダウンされていきます。

それはやがて各自のジョブディスクリプションにも反映されて、産業医ならその取り組むべき分野と対象が示され達成すべき目標が決まっていくということです。目標が設定されればプロセス管理が始まります。最後はその達成度が評価されます。楽しかったですし、やりがいがありました。


当時のわたしたちの合い言葉は「help IBM win」(IBMが勝つために働く)でした。どういうことか、お話ししますね。

IBMは、今はどうか知りませんが、当時安全衛生や環境衛生の分野で年間100件を超える訴訟が起こっていました。訴訟があってもIBMは一歩も引きません。なぜなら、絶対負けないためのエビデンスをしっかりとそろえているからです。

そもそもそういう事態が起こらないように万全の施設と人員体制、専門家による監査を繰り返し行い、考えられるリスクを二重三重にミニマイズしていますので、どんなクレームにも自信を持っています。そのために専門家を置いているとも言えます。


たとえば有害物質の気中濃度は厳格に管理しているし、法律になくても必要と思えば特殊な項目の健診も実施している。作業者には作業手順を教育し、仮に手順書通りに作業をしなかったり作業ミスがあったとしても、有害物質にさらされないように工夫をしています。

とくに健康障害につながるリスクについては徹底的に検証し、その内容は克明に記録されています。いわれのない訴訟を排除するだけでなく従業員のためにより快適でより健康的な労働環境を実現するために産業医が必要であるとのポリシーをもっているのです


―― 日本企業は法令遵守のために産業医を置き、アメリカでは企業活動の一環として産業医を活用するという違いがあったのですね。
先生は、その後2005年にIBMを退職され、今度は産業医の育成や産業保健コンサルティングを手がけられるようになりました。このキャリア転換には、何かきっかけがあったのでしょうか?


日本の産業構造の変化と企業が産業医に求めるものの変化


浜口 時代が変化して企業が産業医に求めるものがだんだん変わってきているのに、多くの産業医がそれに気がついていないと感じていました。


―― 企業の何が変わったのですか。


浜口 まず、産業構造が大きく転換しています。

労働安全衛生法施行当時(1972年)の就労人口比率を見ると、第三次産業は約47%で第二次産業が約36%でした。いまや国内労働者の75%以上が情報、IT、流通、金融、サービスといった第三次産業に就いています。


この40年あまりで、産業界は二次産業から三次産業へ大きくシフトしました。「モノを作って売っていた時代から、「情報やサービスを提供する時代へと変化したわけです

「モノ」は機械が作っていましたが、「情報やサービス」はヒトが行います。これは、良質な「ヒト」さがし、「ヒト」づくり、「ヒト」の保持、という「ヒト」の重要性がさらに高まってきたということです。


人材そのものが企業の生命線となりつつある中で、「ヒトへの投資が企業の命運を分ける可能性も出てきました。健康経営の流れもその一環ですが、あらためて「ヒト」の問題に対して、産業医学の専門家としての産業医にそのサポートを求められる機会が増えてきました。企業に内在する健康課題に対して、企業は当然その解決協力を産業医に求めていいし、またそれ相応の対価も払うべきと思います。

産業医が経営的な観点からも企業活動に参加できる時代になってきたと感じています。


―― 一方で、まだ産業医の役割の重要性に気づけていない企業も多いのではないかと思います。これから変わっていくのでしょうか。


浜口 もうこの流れは止まらないと思います

1991年電通の社員が過労自殺し、2000年に最高裁は電通の安全配慮義務違反だと認定しました。このとき残念だったのは、判決文中にただの一言も「産業医」が出てこなかったことでした。また2016年末に電通の新入社員が過労自殺した件のときも、ストーリーのなかにまったく「産業医」が登場しません。産業医はこの種の事件のストッパーになれなかったわけです。

しかし2000年の最高裁判決以来、「過労自殺」「うつ病」「過重労働」「健康管理」「安全配慮義務」「産業医」「精神保健」などなどのキーワードが、企業の労務関係者たちを中心によく話題に上がるようになりました。

それに加えて最近では、定年も延び、病気を持ちながら就業継続をする労働者も増えてきて、健康維持しながら働いてもらうにはどうすればよいかと悩む人事や総務も増えてきました。産業医の先生方に協力して欲しいことが職場ではますます増えてきています。ですので、法律以上のことはしないとか健診判定や診療業務で忙しいとばかり立ち回っている産業医には企業側の評価は低下していくばかりです


私のところには、産業医がメンタルヘルス事例に対応してくれないとか、休職復職について相談に乗ってくれないとか、管理職への教育をしてくれないなどなどあって、困っています。あげくは、産業医を変更したい、という声も聞こえるようになってきました。30年前にはなかった話です。

すでに人事労務担当者たちは、産業医は法的にただいればいいのではなくて、企業の問題、懸念、不安、リスクに対して、産業医学の立場からアドバイスをする専門家であってほしいと期待しています

産業医といっしょに課題解決に向かえば、風評被害、訴訟リスク、健康リスクといった問題を予防できるのではないかと気づき始めたのだと思います。


これからの企業と産業医の関係 ―企業は産業医にもっと期待していい


―― 企業側としては、産業医にどこまでお願いしていいのか分からないといったこともあるようですが。


浜口 私は産業医の研修会で、「産業医は職場で起こるすべての健康問題にかかわって解決すべきです」と講演しています。産業医ひとりで解決せよと言っているわけではありません。自分の専門外なら専門家につなぐとか、情報を集めるとか、とにかく解決の方向性を示してあげることが大切です。

逆に企業は、産業医と雇用契約をする際には、社内にはこういう課題があって、それを解決するために先生に期待している、ということをお話ししてほしいですね。これからは企業と産業医が一緒になって課題解決を進めていくのです。


―― 企業は産業医に一緒に解決したい問題をはっきり示すことが重要なのですね。企業側の視点が変わらなくてはいけない一方で、産業医になる人にもこれまでと違ったスキルが必要ですね。


浜口 私は以前から、産業医には5Kが必要だと言っています。

「(K)会話する力」「(K)規律する力」「(K)科学する力」「(K)解決する力」「(K)教育する力」です。

  • 労働者や職場、人事担当者、産業保健スタッフとのコミュニケーション能力は基盤中の基盤です(会話する力)
  • 彼らとの話の中で、そもそも職場に法律違反があるのならまずはそれから対処しないといけません(規律する力)
  • 規律が終われば、それ以外のところにも問題が必ずあります。改善は科学的に進めないといけません。問題を探りあて、データを集めることも必要です(科学する力)
  • そして改善に向けて実行します。いろいろなメンタルヘルスケースについてもいっしょになって解決していく必要があります(解決する力)
  • 職場問題や事例が解決したら、それらが再発しないように教育したり、管理したりしなければいけません(教育する力)

この必要な5Kのほかに、最近では産業医の仕事は、3Kだとも言っているんですよ。


産業保健は人と組織を長期的にハッピーにする仕事


――3Kですか。


浜口 産業医は「カッコいい感動がある感謝される」です。

東芝の工場にいたとき、ウィルス性肝炎を患う男性社員がインターフェロン療法の副作用がつらいので仕事はできない、辞めたいと健康相談にやってきました。当時のインターフェロン療法は打つと、2-3日微熱でだるくなって仕事なんてできる体力ではないのです。

私は上司に掛け合って事情を話し、治療期間中の業務軽減や配置転換を提案しました。上司はしぶしぶでしたが提案を受け入れてくれて、彼はその期間を無事に就業継続ができて、結局定年まで勤め上げることができました。健康も回復して職業人としても社会的使命を全うできたわけです。工場での退職記念式典のあと、私のところに直行して私の手を握り締めて泣きながら感謝してくれました。


そういえば、東芝に10年いたのですが、後半は定年退職する全員が私のところに挨拶に来てくれるようになりました。私は工場内の労働者たちとは分け隔てなく付き合っていましたから、彼らからの相談も、体調問題をはじめ、家庭不和とか、不倫をやめたいがどうすればいいかとか、自宅の介護老人をどうしたらいいかとか、今の恋人と結婚すべきか、などよろず相談を全部受けていましたから(笑)、どの人とも信頼関係ができていたので、退職を迎えると私のことを思い出してくれるんでしょうね。


臨床医はもちろん、病苦を訴える人を救う高貴で立派な仕事ですが、産業医も負けず別の観点から人の人生全般にかかわって人の集団を変革していくという職業ですそれってカッコいいでしょ! 


最近、循環器や糖尿病の専門の先生方で、産業現場にくれば予防活動ができると気づいて産業医に転じる人もおられます。高血圧や糖尿病は生活習慣病なので、しっかりと予防ができれば、本来ならならなくて済むはずの病気です。

そしてワークライフバランスが重視される時代、病気予防だけでなく人をいかにハッピーに過ごさせるかということに一緒に取り組みたいという医師も産業医に増えてきました。感動があり、感謝もされますよね。

 

―― まさに「カッコいい、感動がある、感謝される」がこれからの新しい産業医像ですね。


浜口 産業医は履修単位さえあれば資格が取れるので、その達成度が確認されないままに産業医活動が行われています。これが問題で、出向く産業医側も迎える企業側も出たとこ勝負なところがあって互いの勘違いや期待外れみたいなことが起こりやすい状況になっています。その後も、実務レベルの内容での継続学習やノウハウや技能を高めるしくみがないのが問題です。

そもそも産業医学を履修できる医大、医学部は全国でわずかしかありません。産業医大卒業者には先輩たちで作っている産業医ネットワークがありますが、他学の先生方にはそれを共有できる環境がありません。病院勤めの先生が産業医をしたいと思っても、病院と会社とはまったくちがった論理で動く世界ですから、病院しか知らない医師にとっていきなり会社で働くのはハードルがきわめて高いと思います。

先生方の橋渡しの機能が必要と思って、産業医伝塾という勉強会を主宰したり、産業医に関心を持っている先生方に広く聴講してもらおうと産楽会という講演会も開催しています。会社員から産業医に転じた人などさまざまな志の高い人達が集まってきておもしろいですよ。


―― 先生ご自身の産業医としての歩みがちょうど、日本の産業保健の軌跡と重なるかのようですね。


浜口 「変わった」人として産業医を始めて以来(笑)、典型的な日本の産業保健を知り、その対照としてアメリカ的な産業保健を知り、その後独立して幸運にも企業にコンサルティング産業医として職をいただきながら、かたや大学や医師会を通して医師の教育にも携わってきました。

時代が変わったなと思うのは企業側で求める産業医像が変わってきたこと産業医側では産業医大でもないのに卒業直後から産業医学をやりたいという人が出てきたことです。産業医の社会必要性が浸透してきたと感慨を深くする一方で、新しい時代の産業医育成に向けてのしくみづくり、ネットワークづくりを進めなければいけないと思っています。とくに産業医側の教育と企業側の意識啓蒙を同時に進めなければいけません。

まだまだやりたいことが続くようです(笑)。

取材、構成協力/奥田由意 編集・文/サンポナビ編集部



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