産業医こそチーム力!小橋正樹先生が語る産業保健の未来とは



建設企業の統括産業医を務めるほか、製造業、情報通信業、保険業、サービス業など約10社の嘱託産業医としても活躍する小橋正樹先生。高校時代から産業医を目指し、救急医療の現場を経て現在に至っています。

小橋先生が救急医療の現場を経験した理由、産業医を目指したきっかけとは。そして、数々の企業の現場から見えてきた企業の、そして産業医自身の課題とは。さらには、統括産業医として産業保健のあり方にどういった展望を描いているのでしょうか。


病院で働かない医師!?「社会に出て組織を癒す産業医」を知った高校時代


――小橋先生が産業医を志したきっかけを教えてください。


1985年生まれの私が高校生だった2000年前後は景気が悪く、資格を取って手に職を付けた方がいいと考える傾向がありました。そんななか、私自身はバンド活動に熱中していたのですが、父に「ミスチルの桜井さんのような歌がつくれるのか」と言われて…、それは無理だろうと(笑)。

漠然と、資格のひとつとして医師もあるだろうと思ってはいたのですが、病院には一般社会から乖離したイメージがあり、将来像として医師という選択肢にはあまり積極的ではありませんでした。

そんなころ、産業医科大(※)に進学した先輩から話を聞く機会があり、初めて産業医科大の存在を知ったのです調べてみると、医師の資格を持って、一般社会に出て行って個人だけでなく組織にも積極的に関わっていく産業医という仕事があることがわかりました。医師というと病院のイメージしかなかったので、新鮮な驚きでした。

そして、産業医というのは世の中にはあまり知られていない職業だけれども、医師資格という武器を持って一般社会に貢献していける、いわばゼロからイチを生み出せそうな社会的付加価値の高そうな仕事だと、みるみる好奇心が湧いてきました。それが産業医を目指して産業医科大に進学したきっかけです。


産業医科大学

医師、看護・保健職、産業衛生専門職など産業医学・産業保健、医療分野を担う人材を育成している。医学部では、医学を産業社会の中で広い視野から考えることのできる産業医を養成することを主目的としており、卒業生は医師免許取得と同時に、企業の事業場に産業医として選任される資格を取得する。


――医師といえば、臨床医を目指す人がほとんどの中、産業医を目指すことに迷いは生じなかったのですか?


実は同級生100人のうち、産業医をやりたいという学生は2~3割程度なんです。当時は、メンタルヘルス不調や長時間労働は企業の問題ではなく、個人の問題だという社会的風潮も強く、産業医のニーズ自体に懐疑的な意見もありましたね。

産業医科大では、原則として、大学が指定したいくつかの進路コースの中から選択しなければならず、ひとまず6年生の時点で将来所属する医局を一旦決めなければなりませんでした。そのため5~6年生の頃は必然的に同級生と将来のことを話す機会が多くなりましたね。「自分は臨床医になる」とか、「産業医になるにしても臨床経験を積んでからの方がいいのではないか」とか、「いや研修医が終わったらすぐに産業医になった方がいい」とか、意見はさまざまでした。


私は、実際に研修医や主治医などの仕事をしてみない限りは何とも言えないので、もし途中で臨床医の道に進みたいと思ったらその時に医局を変わればいいや程度の思いでとりあえず産業医の医局に入りました。また、最終的に産業医になる、ならないは別として、フィジカル・メンタル・外傷など、どんな患者さんに対しても真摯に対応できる医師になりたいと思い、まずは救急の最前線でジェネラリストとしての経験を積もうと、卒業後は救急医療の現場に入りました。


救急医療の現場で気づいた、救急医と産業医の共通点


――救急患者数の多いかなりハードな病院で救急医療のご経験を積まれたんですよね。


3年間、救急医療に携わりました。特に3年目は24時間365日オープンをうたっている病院でした。まさに野戦病院(※戦時に戦傷者を収容し、手当てをするための病院)のような現場でしたね。

そんな中、生命は助かっても社会復帰は叶わないという患者さんが多いという現実に突き当たりました。入院前に100の状態だった人が100の状態で退院できることなんてまずないんですね。闘病中も「これから仕事に戻れるようになりますか?」と社会復帰を気に掛ける患者さんも多かったです。

また、本来なら失う必要もなかった生命もたくさん見てきました。多忙のため持病を放置していたサラリーマン。若年者や中高年を中心とした自殺。生命の重さに差はありませんが、やはり働く世代の患者さんが亡くなった場合、ご本人ももちろん不幸ですが、親族や同僚への精神的・社会的・経済的な影響が半端ないんですね。そのような現実を目のあたりにしているうちに「まだ会ったことのない人たちにこの事実を伝え、なるべく多くの人たちにより良い人生を送ってもらいたい」と思うようになり、まずは産業医になって予防中心の活動を行っていこうと決心しました。


救急医をしている中で、産業医との共通点にも気づきました。救急医は、とにかく目の前の患者さんの救命第一で対応を行い、そのうえでアセスメントして専門的な治療が必要であれば専門医につなぐ、というコーディネーター的役割が求められています。対応すべき科目が広く、そこから必要であれば専門医の受診を勧めるというのは産業医も同じです。そこで、救急医として状態を見極めて専門医につなぐという経験を積み、コーディネート力をつけることが、産業医となっても役立つだろうと考えていました。


プレイヤーの臨床医から、マネージャーの産業医に


――救急医として3年を経て、大学に戻られました。


先ほどお話した通り、産業医科大にはいくつかの進路コースがあります。私が選んだのは、卒業後3年間の臨床を経て4年目に産業医修練のため大学に戻るというコースでした。「修練医」という身分で産業医科大に所属し、産業医の系統的な講義や研究に携わりながら嘱託の産業医として2年間で20社ほどを担当しました。

大学に戻って1週間後には担当企業に1人で訪問することになりました。なにしろつい1週間前までは24時間365日オープンの精神で救急医療に没頭していた世間知らず者です。学生時代に産業医学の講義もありましたが、そんな知識もすっぽり抜け落ちており、会社やら人事制度やらの仕組みも皆目わからない。36協定って何?法定健診って何?そんな基本的な知識もなく、本来なら産業医の方が知らないといけないだろうと思うことも時には担当者の方に質問して一から覚えていくような状態でした。


社員との面談でも何を話せばいいのかわかりません。長時間労働と言われても、自分の方が長時間労働しているわけですし(笑)。面談で「きつかったら言ってくださいね」程度しか返せない。

それまで、病院という組織の中でプレイヤーとして働いていたのが、いきなり組織全体を見なければならないマネージャーになったのですから、それは苦しかったです。とにかく仕事をしながら、都度産業医の先輩や担当先の人事に教えを請いながら覚えていくしかありませんでした。

一般社会人としての働き方もここで初めて学んでいきました。それまで、名刺を渡すことも、メールを返信する習慣もなかったんですから。嘱託産業医は月1回会社を訪問するわけですが、遠い場所にある企業もあります。それらのスケジューリングも自分でやらないといけない。臨床医の頃は投げられた球を返せばよいだけでしたが、産業医になって自ら球を投げなければならない機会が格段に増えましたね。また20社をみるなかで、組織によって文化風土が全然違うことも学びました。


――企業を一人で訪問する大変さ、というのはどういうところにあるのでしょうか。


例えるなら、男子校でずっと育ってきた人間が、裸一貫で女子校に一人乗り込んでいくようなものです。正直なところ、初めはコミュニケーションの相場感覚が全く分からなかったですね。担当先が大企業の子会社などで常勤の産業医がいたり、専属の保健師がいるなどすれば、何かしらサポートをしてくれたりと安心感がありますが、小さい企業だと産業医が自分だけであとは人事担当者しかいない状態なので、初めのうちは戸惑いはありました。


嘱託の産業医にとって、企業への初回訪問は大きなハードルだと思います。スポーツに例えると、臨床医はケガをして戦線離脱した選手だけを診ていればよかったのが、産業医はチームドクターとして、選手が試合に出場できるのか、配置はどうすればいいのかなどといった全体を見る目が必要になるわけです。産業医の経験が浅いとその切り替えがむずかしい。だから、実務のマニュアルや資料、社員・職場についての情報は少しでもあるに越したことはないのです。

もし先輩の産業医がいるなら、アドバイスをもらうとか、紹介会社経由で行くのなら、マニュアルがあるとか、それだけでハードルはずいぶん下がるでしょう。初回だけでも紹介会社の担当者に同行してもらったり、実務上の事前情報があったりするだけでもまったく違いますね。


いよいよ産業医として一人立ち! 職場選択のポイントは「自由と責任」


――修練医の2年間を終えると、本格的な産業医デビューとなるわけですね。


そうですね。現在勤務する建設企業の統括産業医となりました。統括産業医とは、企業の一拠点だけでなく、企業全体の産業保健活動をリードする産業医のことをいいます。

既に体制が整っていて先輩産業医等からの指導も充実した超大企業の一拠点産業医になるという道もあったのですが、まだ体制の整っていない企業で統括産業医としてより大きな自由と責任を持ち、経営トップや人事トップと直に話し合いながら全社的な健康推進計画やルールを策定したり、各拠点の産業保健スタッフと意思疎通をとりながらルールの浸透や拠点産業医の配置などを行っていくことに大きな魅力を感じたのです

もちろん、全体を見て組織を動かす力が要求されますが、そこはトライ&エラーでPDCAを高速回転しながら頑張っていけば何とかなるだろうという根拠のない自信もありました。


――建築業界を選ばれたのには理由があったのでしょうか。


建築業界には労災が多く、社員の高齢化により健康障害リスクが高いといった側面も理由のひとつではありますが、仕事の成果が建築物という形になるという過程におもしろさを感じたということも大きいですね。例えば建設業はメンタルヘルス不調者が相対的に少ない業種ですが、その一因として成果が目に見えることも影響しているのかもしれません。

私は統括産業医でありつつ、本社や関東拠点の産業医も兼任しているので、月に2回ほど建設現場を巡視しています。動くことの好きな私には、楽しみでもあります。建物だけではなく、ダムやトンネルなど現場は多岐にわたり、すべてを見ることはできませんが、これらを生かして統括産業医として現場のルールづくりも行っています。


産業医として気づいた企業の課題「健康診断」


――統括産業医として取り組むテーマはどのようにして見出して行かれたのでしょうか。


統括産業医は、その企業における産業保健上の問題を探り、産業保健に関する全社的な方針、基準、計画等の策定ならびに運用を主体的に行っていくことが求められています。実際のところ、長時間労働対策、メンタルヘルス対策、がん対策、受動喫煙対策など、検討すべき課題は山積みでした。

しかし、時間や人的資源が有限である以上、統括産業医は全体最適を常に見据えていかなくてはなりません。そのため、日々の産業医業務や全国拠点行脚などを通じて「やることの優先順位」を決定すると同時に、「やらないこと」「今やっているけど縮小すること」についても関係者へ説明を重ねながら意思決定を行っていきました。

具体的には、各地方拠点のボトムアップが大きなテーマでした。特に、墜落災害を起こしたり、病気で亡くなったりする社員の中には、健康診断結果が悪かったにも関わらず放置していた方が少なくありませんでした。また、各拠点産業医による健康診断後判定のやり方や基準もバラバラで、その後の対応も特に地方支店においては一言本人に受診勧奨をするだけで十分な受診確認がなされていない状況でした。

そのため健康診断後のフォロー強化を最重要課題と位置づけ、どの数値からは受診や就業制限を検討するかといったフォロー判定基準の作成と、フォロー終了率100%の達成を柱として取り組むことにしたのです。



「休業している人や辞めた人のリストを見せてください」から改善がはじまる


――社員の健康管理における課題を把握するために何が必要だと考えていますか?また先生は課題解決に向けて、どう取り組みを進められたのでしょうか。


働き方改革や健康経営が叫ばれていますが、まだ自分ごととしてとらえていない企業や経営者も多いです。人間、今後のリスクだけを説明されてもなかなかピンときません。なので私の場合は、自分ごとの課題だと認識させるきっかけとして、休業者や退職者等のリストを見て現状を把握してもらうことが多いですね。その原因などを探っていくうちに、「この人、3年前から健康診断の結果悪いじゃん」「このままだとあの部署からまたメンタル不調で退職者が出るぞ」と、やるべき対策や今後出てくる問題の予測まで主体的にできるようになることが期待できます。

その際、嘱託産業医はこうして把握した課題に対してコンサルティングを行いながら、人事担当者とともに対応策を練っていくこととなります。一方統括産業医には権限とともに責任も与えられています。それだけに、把握した課題を実務に落とし込む作業も求められるのです。


先ほどの話に戻りますが、私の場合は統括産業医としてこれらの課題を整理して「健康推進年度計画」として全社方針を示すまでに1年かかりました。入社していきなり計画を出すより、全拠点を回り課題を共有したうえで、2年目から計画に向けて取り組むという方が社内のコンセンサスも得やすいでしょう。

あとは、表向きの目標を「今話題の健康経営銘柄を取得して企業価値を向上しよう!」としたことも大きかったかもしれません。企業によって文化風土は違います。“郷に入れば郷に従え”と言いますが、郷のことを把握したうえで郷にとって大事なことを提案するという過程を丁寧に踏んでいくことは産業医として重要だと思います。


――先生が健康管理対策として柱とされた健康診断後のフォローは、不調の早期発見・適切な対応をするという「2次予防」、職場復帰支援の「3次予防」に当たると思うのですが、不調者を出さないための「1次予防」についてはどう取り組んでいらっしゃるのでしょうか。


1次予防についても「健康推進年度計画」に盛り込んでいます。まず、取組みによる効果が期待できることが大前提ですね。そのうえで元々健康意識が高い社員の部活動のような取組みではなく、なるべくたくさんの社員が気兼ねなく参加してくれて、更に事務局の負担も少ないような取組みを目指しています。具体的には、ウォークラリーや健康講演などのイベント、健康通信や社員健康インタビューなどの発信などを今やっています。

ただ、2次3次予防を満足にできていないのに1次予防の比率だけを高めるわけにはいかないため、そこは関係者間で話し合いバランスを考えながら行っています。

あとは、ストレスチェックの組織分析も今年度から本格的に始めました。今後は、組織分析結果を基に統括産業医として提言を行い、経営戦略のうち人事戦略に関わる部分に反映させていく予定です。


産業医だけでは限界も。「健康経営」はチームプレー


――産業医は本来16万事業所で必要なのに対して、稼働している産業医は3万人、産業医を生業にしている医師は2千人という現状があります。稼働できる産業医を増やす、あるいは産業医がより活躍できるようにするためにはどうしたらいいとお考えですか。


30万人いる医師がすべて産業医になると、医療は崩壊します。ですので、産業医の数を増やせばすべて解決するというわけではありません。私たち、産業医を生業にしている医師が、兼業産業医が最低限の努力で最大の効果を出せるようなマニュアルやツールを示し、広めていくことが必要だろうと考えています。例えば、私が統括産業医として業務ルール作りをした結果、明らかに業務パフォーマンスが向上した兼業産業医の先生もいらっしゃいます。


また、産業医だけではできることに限界があります。現状では、健康のことはすべて産業医に丸投げとなっている企業も多いのではないでしょうか。

社員が働けるかどうかを医学的に判断することは確かに医師でないとできませんが、例えば勤務状況のヒアリングや健康推進計画の作成ってその気になれば人事担当者や保健師などの産業保健スタッフの方がむしろできると思うんです。産業医が限られた時間で最大限のパフォーマンスを出すためには、企業全体を見て、チームで取り組んでいくという認識を持つことがスタートではないでしょうか。

「最初は産業医におんぶに抱っこだったけど、もう産業医に頼らなくても自分たちで大体のことはできるよね」という企業が増えて、産業医は次に癒すべき企業へ渡り鳥のように羽ばたいていく。そんな風潮が当たり前の未来になれば良いですよね。


プロフィール:小橋 正樹(こばし まさき)


日本産業衛生学会専門医/労働衛生コンサルタント(保健衛生)/メンタルヘルス法務主任者

2010年、産業医科大学医学部医学科卒業。福岡記念病院、南部徳洲会病院にて主に救急診療医・総合診療医として従事。
産業医科大学産業医実務研修センター修練医を経て、現在は建設企業の統括産業医のほか、製造業、情報通信業、保険業、サービス業など約10社で嘱託産業医を務める。(2018年1月現在)

文/坂口鈴香  編集/サンポナビ編集部


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