〈後編〉マジシャン産業医に聞く「人を巻き込むポイント」とは?
この記事は後編です。前編の記事はこちら。
前回は、波乱に満ちた学生時代を経て平野井先生が産業医という天職に出会うまでのお話をお聞きしました。
今回は、平野井先生が専門医を取得されるまでのお話に加えて、産業医としてのスタンスやどんな取り組みをされてきたのかについてうかがいます。
平野井先生ならではの「人を巻き込むポイント」が話のあちこちに散りばめられているので、人事・労務担当者にとっても役立つヒントが満載です。
平野井 啓一(ひらのい けいいち)
株式会社メディカル・マジック・ジャパン代表取締役
日本産業衛生学会専門医/労働衛生コンサルタント(保健衛生)/日本内科学会認定内科医/作業環境測定士(第二種)/衛生工学衛生管理者
医師であり、マジシャン。現在はファーストリテイリング、日本マクドナルド、ホテルニューオータニ等約20社の嘱託産業医を務める。
一方的に話を切られた面接で、一般社会の“理不尽”を学べた
──産業医の資格取得後は、産業医一本でお仕事をされていたのですか?
いえ、2009年の3月に産業医資格を取得し「これで産業医の仕事ができる!」と意気揚々としていましたが、現実はそんなに甘いものではありませんでした。
医師向けの人材紹介会社に登録し、お世話になっていた健診機関にも「産業医を探している企業があったら紹介して欲しい」とお願いしたものの、産業医未経験がネックになってことごとく書類審査で落ちてしまいます。
やっと書類審査を通ったと思っても、面接で悲しい気持ちになることもしょっちゅうです。例えば、未経験を指摘され「これから経験を…」と答えている最中に「もう結構です」と一方的に話を切り上げられたこともありました。
──それは、怒り心頭だったのでは?
当時は、悲しくもあり腹立たしくもありましたが、今では感謝しています。
というのも、医師という職業に就いていると、初対面の人からなめられることや、他人から指図されることがあまりないんです。初期研修中の若手であっても、患者さんや外部の方からは「先生」と持ち上げられることが多い。
でも、一般的には社会に出たら、理不尽な叱責を受けることもあれば、初対面の人から馬鹿にされることも、ままありますよね。誠意を踏みにじられたときは、本当に辛くて悔しい。
私も同じような思いをしたので、そういうときの何とも言えないこの感覚はわかるつもりです。そしてそれは、産業医として働くうえで知っておく必要があると思います。心が動かなければ体は動きません。産業医として相談にのる際も、周りの人を巻き込む際も、相手の立場や心情を想像することから始まります。そういう意味で大事な経験ができたことに感謝しているんです。
産業医になって気づいた労働衛生の面白さと奥深さ
──産業医になってからも苦労が続いたのですね。
はい、その後も何社も面談して落ちました(笑)その間は健診業務と救急当直を続けていました。その後何とか1社目の契約が決まり、産業医になって1年程で契約数は軌道に乗りました。
しかし同時にどのように産業医としてスキルアップしていけば良いかわからなくなり、「このままじゃ自分はダメだな」と悩み始めてもいました。嘱託産業医としてその場その場の仕事をしていくことは、それほど知識、経験がなくても出来てしまう場合もあります。しかし、もっとその会社の労働衛生を進めていきたい!もっと会社のために動く産業医になりたい!という思いが強くなると(マジックと同じく産業医も独学で進めてきたので)圧倒的に知識、ノウハウが足りない事に気づかされます。
でも、そこで風穴を開けてくれたのも、マジックのときと同様に師匠の存在でした。
前回、産業医になると決意したのは認定産業医の講習会で浜口先生のお話を聞いたことがきっかけと話しましたが、先生とは講習会以来、節目ごとに連絡を取っていました。そこで、御相談させていただいたところ、会っていただける事になったのです。
先生から、「産業医としてやっていくならば、専門医(※)を目指した方が良いのでは?私が指導医になりましょう」という、願ってもない機会をいただきました。
滅多に弟子を取らないことで知られている浜口先生からいただいた貴重なチャンスを無駄にするわけにはいきません。こうして、日本産業衛生学会専門医を目指すことになったんです。
※専門医とは
ここでは、日本産業衛生学会専門医のこと。日本産業衛生学会が定めた指導医の下で教育を受け、専門的知識を修得して提供する医師。研修予定書に沿った研修の後、資格認定試験に合格することで取得できる。
──専門医取得までは、何年くらいかかったのですか?
約7年です。2010年に研修医登録をして、2016年に晴れて日本産業衛生学会専門医となりました。
その間に、労働衛生コンサルタント(保健衛生)、作業環境測定士(第二種)、衛生工学衛生管理者の資格も取得しています。これは、資格取得過程での勉強が産業医としてのアイデンティティの確立につながると考えたからです。
実際に学んだ経験から言えることですが、労働衛生は一見つまらなさそうに見えるかもしれませんが、ちゃんと理解すると面白いんですよ。だから、企業の方にもできれば興味を持って楽しんでもらいたいと思い、社員の皆さんにお話をする際はいろいろと工夫をしています。
マジックも労働衛生の話も、興味を持ってもらってなんぼ
──企業にとって産業医はどんな存在であるべきだと思いますか?
一緒にその会社をつくる一員でしょうか。会社には経理の専門もいれば営業の達人もいます。いわば、プロの集合体が会社。産業医もその中の一人であるのが理想ですね。
働くという言葉の語源は「傍(はた)を楽にする」だという説があります。楽は、「楽しむ」とも読めますよね。個人的には、担当した企業の人を楽にして、さらに楽しい気持ちにする、そんな「はたらく産業医」でありたいと思います。
産業医になったばかりのときは、今からは想像もつかないくらい堅い産業医だったかもしれませんが…。
──堅い産業医から、「はたらく産業医」に変化したきっかけは何ですか。
あるとき、「これは、自分じゃないな」と思ったんです。マジシャンとしての自分から見たときの違和感でしょうか。マジックは披露した後に、「上手いね!」と言われたら大失敗なんです。上手いか下手かという印象を残すのではなく、「面白い!また見たい!」と思わせてなんぼの世界。
労働衛生の話にも同じことが言えます。ちゃんと興味を持ってもらって、聞いてもらってなんぼ。そのことに気づいたとき、「相手が興味を持ってから、大事なことをお話しする」という伝え方をしようと肝に銘じました。
──先生がそこまでホスピタリティ精神が旺盛なのは、なぜなのですか。
ベースがマジシャンだからでしょうか。話しているときに相手につまらなさそうにされると辛いんです。どういう場面でもできるだけ楽しませたいし、相手に参加してもらいたい。自分では「劇場型産業医」と名乗っています。
マジックをするときは、最初の7秒で何らかの現象を起こして観客の興味を惹くんですが、衛生講話にも同じことが言えると思っています。最初から本題そのものにいくとダメ。まず興味を持ってもらうことから始めなくてはいけません。話の着地点を守る必要はありますが、途中は脱線した方が盛り上がるし、印象に残るんです。
(「脱線」について、ホワイトボードを使いながら説明してくださいました)
例えば、ストレスチェックについて説明する際は、いきなりその必要性を説いても頭に入りにくい。そこで、まず参加者同士で二人一組になって、自分自身が仕事でストレスをどのくらい感じているかを話し合ってもらいます。
そうして、自分事として感じてもらった後に、ストレスチェックの取り組みについてどう思うか意見を交換してもらうんですが、ここまでは導入に過ぎません。
ようやく本題に入り、「ストレスチェックについて話し合うにしても、予備知識がなくては難しかったと思います。そこで、まずストレスチェックの基本的な内容についてご説明したいと思います。こちらのスライドをご連絡ください。この制度は…」と始めるんです。そうすると、ほとんどの方が興味を持って聞いてくれます。
──他にも社員の関心を高めることができた成功事例があれば、教えてください。
健康診断の結果の見方を説明するにあたって、衛生委員会のメンバーに寸劇をしてもらったことがあるんです。産業医が衛生委員会で一方的に話をするのではなく、衛生委員会メンバーが社内に向けて発信する場です。それも、気軽に参加できて、楽しんでもらえるものにしたいと思いました。
そこでできたのが、「居酒屋不健康」という痛風になりそうなメニューばかりがそろっている居酒屋に、会社員二人が飲みにくるという設定の寸劇です。そのときは、ほとんどの社員が見に来たんじゃないかという参加率でした。
(居酒屋不健康の寸劇にて)
──昔から、大勢の人に話すことや何かを披露することが得意だったのですか。
得意だと思い込んでいました(笑)。昔から話すことは好きでしたが、面白いことを言えるのは最初の5分くらいです。後は沈黙が怖くて、面白くもない話をずっとしてしまうというタイプでした。当然人気はありません。でも、それに気がついたのは、浪人時代です。
前回お話ししたように私は3浪しているんですが、1年目の自宅浪人中は話し相手がおらず、自分と向き合う時間がたっぷりありました。そこで勉強する合間に、「どうして中学時代も高校時代も彼女ができなかったんだろう?」と真剣に考えたんです。改善するならどこなんだろうか、改善できるのはどこなんだろうかと。そして、たどり着いたのが、まずトークだろうという答えでした。
そこで早速、当時流行っていたダウンタウンや明石家さんまが司会のテレビ番組を録画して、自分が吸収できるポイントを徹底的に研究したんです。
すると、共通のパターンがあることに気づきました。ダウンタウンも明石家さんまもまず相手の話を徹底的に聞いて、そこに絶妙な返しを入れて笑いが生まれるんです。昔の自分は一方的に話してばかりでした。基本的なことですが「共感して聞く」ことが大事なんだと実感しました。
労働衛生の場面でも「共感して聞く」ことが大切
──「共感して聞く」というのは、産業医にも通じるスキルですね。
産業医の仕事は、決まった型が確立していません。特にメンタルヘルスに関しては、道なき道を進み、まさに切り拓いて行っている時期ではないでしょうか。そこで、「共感して聞く」ことは人間関係を築く基本スキルとして、産業医には必須だと思います。
例えば、人事担当者から産業医宛に電話がかかってきたとしましょう。「先週やっと復職した社員がまた不調を訴えている」と聞いたときに、まず「あぁ…」と共感の溜息がつけるかどうかがポイントではないでしょうか。
人事担当者としては、非常に残念なはずです。その気持ちに寄り添えるかどうか。信頼があった後に納得が生まれるので、信頼関係を築くことなしにアドバイスは心に響かないと思っています。
──なるほど。「共感して聞く」ことで、信頼関係が生まれるのですね。
ただ、矛盾するようですが、産業医の仕事に共感は大事だけれど、共感だけでも成立しないと考えています。
私自身の経験から、経済的に本当に困っていたとき「もっと希望を持って」と言われるよりは、お金を貸してくれる人の方がありがたいと感じましたし、共感するだけだったら解決しないと思うんですね。
悩んでいるのはわかるけれど、悩んだまま立ち止まっているともっと酷いことになるので、解決するためにどうすれば良いかを考えるのが産業医の仕事だと考えています。しっかりと相手の話を聞いたうえで、選択肢を説明する。
そのバランスが難しく、スキルアップに終わりはありませんが。
また、平野井個人として向き合うことも大切にしています。
「ここから先は、産業医の範疇じゃなくて人事の範疇です」と突き放すのは簡単ですし、その方が楽かもしれません。でも、「産業医として言えることはここまでなんだけど、実際にあなたが会社の制度を使った場合のメリットとデメリットは、平野井個人としてはこう考えています」と、立場を明確にしつつも踏み込んだ話をすることが多いですね。
組織を動かす、変えていく「一流の産業医」を目指して
──産業医として、今後はどんなことに取り組んで行きたいですか。
これまで通り、中小規模の企業を中心にサポートしていきたいです。担当した企業をより良くしていきたい。一人ひとりだけでなく、組織を動かす、組織から変えられる力を身につけたいですね。
まず、私自身の課題でいえば、企業のトップに対してきちんとしたプレゼンテーションができるようになるということでしょうか。
また、嘱託産業医として20社程とお付き合いがあるので、産業医の私をハブにして、A社であった事例をB社で参考にしてもらうといったナレッジの共有をしていきたいです。
衛生委員会とは別に社内で労働衛生に興味のある有志の組織をつくることで、より自発的に、中から組織を変えて行くという構想もあります。
師匠である浜口先生の言葉を借りると「三流の産業医は法律で決められた範囲の仕事をする」、「二流の産業医は法律で決められたこと以外でも、会社の問題に気づき解決していく」。そして、「一流の産業医は会社そのもの組織そのものを変えていく」存在。
浜口先生自身は、これまでにいくつもの組織の風土を変えてきた実績があります。今の私はその足元にも及びませんが、10年後には少しでも近づけるように「一流の産業医」を目指します。
文/松山あれい 編集/サンポナビ編集部